いまひとたびの 22



ざらざらざらと砂粒が視界を流れる。
ざらざらざらと耳障りな音が聞こえる。

身体が……炎のように冷たい
氷のように熱い
壊れる前に……早く神子を助けなければ……

………神子はどこだ

異物と異音の隙間から、泰明は庭に立つ長身の男を認めた。

「頼……ヒ…サ……?」

泰明の声より早く頼久は振り向き、その手が腰の剣にかかる。

「泰明殿、何があったのですか。
神子殿はご無事なのですか!?」

……頼久も神子を探しているのか

        ダガ剣を抜コうとしテイる
        油断シてはナらヌ
異音の底からざらざらざらと声が囁く。

「神…子……神子……は」
一歩踏み出した泰明の身体がかくんと斜めに傾いた。
「道…マが……連れ去っタ。ユルさ……ぬ……」

道摩の名を口にした瞬間、目が眩み息が奪われ、
不自然な形のまま、泰明の動きが止まる。

「神子殿が連れ去られた!?」
頼久の声がざらざらざらと大きくなった。

驚いている……
神子を案じているのか……

        抜刀ノ構エはソのままダ
        真に案ジテはいナい

異様な状態の泰明を前にして、
頼久は常と変わらぬ呼吸をし、静かに泰明と対峙していた。
修練を積んだ頼久ゆえに成し得る抑制。

だが泰明ゆえに、極限まで抑えた頼久の闘気を感知してしまった。

        やハリ…………頼ヒサは………敵ダ

敵では……ない
頼久は八葉だ
八葉は……神子を守るもの……

        もうハチ葉ではない
        剣を振ルう敵ニ情けは無用
        さモなくバ神子は戻らヌ

ざらざらざらと嗤う声が耳を冒し身体中に谺する。
熱くて冷たい……冷たくて熱い………。

        敵ヲ討て
        楽にナれ
        神子ヲ欲すルなら

「う…………神子……」
「泰明殿!!!」

泰明の袖がばさりと翻り、中空に桔梗印が描かれた。
頼久の手に白刃がきらめく。
二つの凄まじい闘気が一瞬のうちに膨れ上がる。

              そウだ……イッ気にトどメを……

そして次の瞬間――――





「主上、いかがなされましたか」

御簾の外から侍従の声がした。
帝の小さな嘆息に気づいたようだ。

「大事ない。……だが」

侍従は次なる帝の言葉を待っている。

「内裏にさらなる異変は無いか」

「御心を悩ますものは何一つ起きておりません。
右大臣殿も病を押して出仕されたとのこと。
どうぞ心安んじられますよう」

「下がってよい」
「御心のままに」

嘆息の理由に侍従は納得したようだ。

一方、帝の心に微かな違和感が、ちり…と爪を立てている。
病と称して休んでいた右大臣が……?
勤めにそれほどに熱心な姿は見たことがないが……。

だが帝にはそれを確かめる術がない。
潔斎の間は俗人との関わりを断ち、
内裏の政からも離れなければならないからだ。

心を痛めている定子の側にいることも、
永泉の力になることも、
不吉なかねごとを受けた友雅の安否を確かめることもできない。

――だがそれを嘆いて何とする。

帝は眼を閉じ、息を整えて自らの気を鎮めた。

今は我が務めを果たすのみ。
帝として民の平安を全霊を以て祈るのだ。

神官がしずしずと歩み来て、御幸に至る儀式の開始を告げる。

雲上の孤独な男の耳に、遠く雨音が届いた。





鷹通は無言で書き付けを差し出した。
受け取った友雅は、中を見ることなく懐にしまう。

「恩に着るよ、鷹通」
馬上の人となった友雅は、その一言を残して大内裏の門を走り出た。
雨に煙る夕暮れの大路に、馬も人もすぐに見えなくなる。

鷹通は門柱にもたれかかり、ふうと息をついた。

友雅からの途方もない無理難題に何とか応えることができた。
治部省の日常の勤めをしながら、
誰にも見咎められずに右大臣のことを調べるなど、
どうしてやりおおせることができたか鷹通自身が信じられないほどだ。
緊張の連続で、まだ身体が強ばっている。

まるでちょっとした噂話のように笑みを浮かべ、
声を抑えて友雅は言ったのだった。

――時間がないのだよ、鷹通。
それから、このことは誰にも知られぬように頼むよ。

友雅とは今朝会ったばかりだった。
否、会ったというより、友雅が式神に襲われているところに
鷹通が駆けつけたのだ。

その時友雅は多くを語らなかったが、
語らぬのではなく語れないのだと、鷹通は直感した。
それは即ち、帝の命を受けて動いているということだ。

今回の要請も無関係ではないのだろう。
そして、そのように鷹通が察することを、友雅は端から承知して、
鷹通にあのように無茶な依頼をしたのだ。

だが首尾よく調べを終えてなお、鷹通の心は重い。

艶然とした笑みのまま、友雅はさらに声を低めて
怖ろしい事実を告げた。

――永泉様が行方知れずだ。
そしてあかね殿がさらわれ、泰明殿は深傷を負っている。
鷹通が東の市で会った法師の仕業なのだよ。

あの時の……法師が……。

一見ばらばらなできごとが、
聡明な鷹通の中でつながろうとしている。

一層強くなった雨音に鷹通は顔を上げ、大内裏の広場を見やった。
そこで泰明に会ったのが、遠い昔のように感じられる。
今その場所は激しい雨に打たれ、人の気配も無い。





京の空を飛ぶ白鷺は、対峙する陰陽師と武士を見つけた。

『泰明……何ということじゃ』

泰明と頼久が力を以て相まみえれば、どちらも傷つくことは必定。
それが致命的な傷となることもあり得る。

白鷺は二人の立つ小さな庭に向かい懸命に羽ばたき急ぐが、
それより早く、五芒星の光が広がり剣が一閃した。
『ならぬ!!!!』
白鷺は光の中に飛び込む。

が、僅かに遅かった。

轟音と共に跳ね上がった泥の飛沫が光をかき消し、
一瞬の後、雨のように降り注ぐ。
 
泥の雨を払い、白鷺がやっと視界を取り戻した時、
辺りは静寂に包まれていた。

だが白鷺がそこに見たのは、相討ちで倒れた二人ではなく
泥まみれになりながらも、ぐらつく足を踏みしめて立つ泰明と頼久だった。

二人の間には、泥土の中で明滅する崩れた五芒星。
そこには、頼久の剣が突き立てられている。

泰明の術は頼久に届かず
頼久の剣もまた泰明に届いていなかったのだ。

――否!

白鷺は粛然として二人を見た。

泰明も頼久も戦いを直前で止めたのだ。
自らが傷つくことになるとしても、
相手を攻撃することはしなかったのだ。

『どちらもよくぞ己を抑えた。
八葉の絆とは頼もしいものじゃ』
厳めしい声で白鷺は言った。

その声に、頼久は慌てて居住まいを正した。
「晴明殿!」

『頼久、此度の泰明の振る舞い、
弟子に代わってこの安倍晴明が詫びねばならぬ』
「わっわわ……詫びるなど、どうか…その……」

五芒星の光の中で晴明は見ていたのだ。
頼久が先に剣を手放したことを。
それに気づいた泰明は、とっさに術を地面に向けたのだった。

『すまぬことをした』
白鷺が細い首を曲げて頭を垂れると、
頼久はうろたえながらそれ以上に深く深く頭を下げた。

『そして泰明』
白鷺は泰明に向き直った。

頼久は数歩下がって成り行きを見守る。

『答えよ』
「……お師…匠……?」

『憎しみは弱き心を糧とする。
今のお前のその心で、神子殿を救い出せるのか。
己の弱さに負けた姿のままに、
恥じることなく神子殿に再び会うことができるというのか』

「神子……あかね……私は……」
泰明の眼が見開かれ、動きも呼吸も止まった。

晴明はさらに続ける。
『憎しみは呪いぞ。
神子殿への想いまでも喰らい尽くされたいか』

泰明は動かない。
いや、晴明には分かる。動けないのだ。

頼久のおかげで陰陽の調和は少しずつ戻っている。
だが泰明の中では今、激しい戦いが起きているのだ。

道摩の植え付けた呪いは、晴明の言の葉で消え去るようなものではない。
泰明自らが立ち向かわねばならぬものだ。
そして今、泰明はそれに気づくことができた。

ここから先は泰明を信じるのみ。

白鷺は翼を広げた。黒鷺との戦いで傷ついたままの翼だ。
晴明の操る式神といえど、力は無限ではない。
それでも安倍屋敷までは何とか戻れるだろう。

白鷺がふわりと飛び上がろうとしたその時、泰明がぴくんと動いた。
頼久は素早く剣を拾うと汚れを拭う。

ぽつぽつと雨が降り出した。

夕暮れ間近い泥土の庭に、何者かが迫っている。



続く





[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12]  [13]  [14]  [15]  [16]  [17]  [18]  [19]  [20]  [21]

[小説・泰明へ] [小説トップへ]





晴明の「八葉の絆〜」という言葉を、
頼久は安倍屋敷で友雅と共に聞いています。
泰明の言葉を待つまでもなく
すぐに白鷺の正体を確信したのはそのためです。


2019.8.8 筆